夏の朝 『甘いくらいだ、と君はわらう』
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夏の朝を担当させて頂きました、主催のみふみと申します。素敵な執筆者様にご参加頂き、そして様々な方のご協力を経て、無事に公開までたどり着くことが出来ました。感謝の想いでいっぱいです。本当にありがとうございました。
夏の早朝の涼やかな空気が大好きです。そんな時間に兼さにが逢瀬を楽しんでいたら楽しいなぁという気持ちを込めて。付き合いたての初々しい二人の逢瀬を、少しでも楽しんでもらえたら嬉しいです。残ったおにぎりは、厨担当の刀剣男士たちが美味しく調理してくれました。
夏の太陽が顔を出す、ほんの少し前。しめやかな土の匂いと梔子の甘い香りが、吸い込んだ空気といっしょに飛び込んでくる。そんな朝の匂いが、わたしは大好きだ。
夜中に雨が降ったのだろうか。庭に植えられた梔子の葉から、雫がぷつりとこぼれ落ちた。そんな景色を横目に、静かな廊下を音を立てずに進む。遠くから小さく聞こえる、竹刀のぶつかり合う音に、思わず足を進めるスピードを早めた。愛しいあの人に、会うために。
「早く行かないと、稽古が終わっちゃう。急がなきゃ」
この本丸には、朝稽古という制度がある。その名の通り、朝に行われている稽古であり、朝餉の始まる前の六時から七時までの間に、自主的に彼らが稽古を行っている。参加は自由、手合わせの相手も自由。普段は手合わせすることのない練度差の相手とも手合わせが出来ると言うことで、血気盛んな一部の刀剣男士からは人気のある稽古である。
審神者は、朝が弱い。いや、朝の空気は好きなのだけれど、如何せん起きることが苦手だ。爽快な気分は布団の中でも味わえるから問題はない、というのは寝ぼけ眼の審神者の詭弁である。だけれども、今日はどうしても起きたかった。どうしても起きたかった結果、管狐に頼み倒して起こしてもらったのだ。肉球は確かに柔らかいけれども、速度を伴えば凶器になることを審神者は知った。
「珍しい。お寝坊な審神者様が早朝に起床されたいだなんて、一体何があるんですか?」
「その言い方やめてよ。ただ起きれないだけです!」
「それが駄目なんですよぅ。それで?理由はまた和泉守兼定ですか?」
「……明日ね、兼定が朝稽古行くみたいだから、見に行きたくて」
「成程。……お揚げ五枚で手を打ちましょう、恋する乙女の審神者様」
「そんなに食べると太るよ、こんのすけ。って、痛っ!痛いってば!」
「なんて失敬な!管狐だって怒りますよ!お二人が結ばれたのはおめでたいことですが、審神者様の女子力とやらが心配です」
「余計なお世話ですよーだ」
「折角行くのなら、差し入れでも準備したらどうですか?」
「差し入れかぁ……」
管狐から繰り出される手刀、もとい尾刀の威力を思い出してしまい、思わず二の腕をさする。腕に抱えたままの風呂敷を潰さないようにして、先を急いだ。わたしにだって、差し入れくらい。風呂敷の中には、まだ温もりも保ったままのおにぎりが四つ。おにぎりの中には、疲労回復効果のある梅干を入れて。料理ができないわたしには、不格好なおにぎりを握るだけで精一杯だった。……兼定。喜んでくれると、いいけど。すぐ不安になるのは、わたしの悪いクセだ。
カーン。ズサッ。オラアア。
竹刀がぶつかり合う音、咆吼のような掛け声が響き合っている。まだ朝の早い時間だというのに、この空間だけはもう昼間のような熱気だ。恐る恐る、扉の隙間から中を覗けば、青い海のような瞳とばちりと目が合った。
「おはよう、主さん。来てたんですね」
「おはよう、堀川。お疲れさま」
「ありがとうございます。今、ちょうど安定くんと清光くんが手合わせをしてて……ふふ、兼さんを見に来たんですか?」
「えっと、あの、うん。そうなんだけどね。来ても大丈夫だった?」
急にまた不安になって、堀川の顔をこっそりと覗いてみる。するとまた堀川と目が合って、にこりと微笑まれた。堀川は、わたしと兼定の仲をずっと応援してくれていたうちのひとりだ。意気地なしのわたしの相談をいつも聞いてくれて、励ましてくれた。あとから聞けば、兼定からも同じような相談を受けていたみたいで。こうして無事想いが通じたのは、堀川のおかげといっても良いくらいなのだ。
「兼さん、きっと喜びますよ」
「そう、かな」
「そうですよ。僕が保証しますから」
「ありがと、堀川。……そうだと良いなぁ。あの、兼定は?」
「兼さんなら、さっき水を飲みに……。ほら、あそこです」
そう堀川が言った視線の先、わたしの入ってきた扉のちょうど反対側に兼定はいた。こちらにはまだ気づいていないのか、彼の背中だけが見える。浅葱色の背中と黒髪が目に眩しくて。好きだなぁ。突然、そんな気持ちになった。凛としている彼の背中を見るのが、好きだ。その背中に負けないようにと自分の背筋を伸ばしたい時もある。そうかと思えば、その背中に抱きついて温もりにすがりつきたい夜だってある。この本丸の審神者としても、兼定の恋人としても。彼の背中に相応しい人間になりたいなぁ。愛おしさと、妙な緊張感がわたしの中でぐるぐると回っている。そうして、思わず目を細めて兼定を見ていたら、視線に気がついたのか、兼定がわたし達の方に振り向いた。堀川がわたしの背中をそっと押す。うん、行ってくるよ。
「兼定、おはよう」
「よぉ。来てたんだな」
「ふふ、驚いた?」
「おぉ、驚いたぜ。早起き苦手なのに来たのか?」
「そうだよ」
「そうか」
「だってね、」
「うん?」
「会いたかったんだもん」
ぽかん。文字にするなら、きっとこんな言葉だろう。じわりじわりと兼定の耳が赤くなっていくのが分かった。所在なさげに視線を彷徨わせる兼定の口元がぼそりと動いた。
「……れも」
「え、なに?」
「オレも。オレも会いたかった」
ずるいや。そういうの、ずるい。
二人して顔を赤くして、立ちすくむ。聞こえるのは風が木々を揺らす音と、竹刀がぶつかり合う音だけ。お互いに目が合って、段々と何故だか分からないけど笑いがこみ上げてきて。わたしも、きっと兼定もよく分からないまま、二人で笑い続けた。
「ふふふ、昨日会ったばかりなのに」
「ほんとだよ。ったく、俺たち何恥ずかしいこと言ってんだ」
「夏にやられちゃった」
「まだ早朝だっつぅの」
「へへ、ごめん」
「なぁ、それ。なんだ?国広と話してた時から持ってたよな」
「堀川と話してたの、気づいてたんだ」
「オレがおまえを見逃すわけねぇだろ」
「また恥ずかしいこと言ってる自覚ある?」
「今度はあるぜ」
「なにそれ、あははっ」
こういうところが愛おしいのだ。二人、道場の扉にもたれて肩を寄せ合う。道場の裏にあるひまわり畑は見事なもので、目覚めたばかりの太陽に向かって首をもたげさせていた。腕に抱えた風呂敷を少しだけ広げて見せれば、「あっ」兼定が思い当たったように声を上げる。
「もしかして差し入れか!」
「正解」
「……お前、料理できたのか?」
「失礼な。出来ません」
「出来ないのかよ」
「その分、愛情は込めたよ」
「ほぉ?って、この握り飯デカくねぇか」
「そうかな。なんか張り切っちゃって」
「……あんがとよ」
いただきます。
律儀にそう呟いて、兼定はおにぎりに向かって手を合わせた。わたしもつられて「召し上がれ」だなんて。味はどうだろう。ドキドキして、顔も上げられない。震える胸をおさえながら、待つ。待つ。……待つ。あれ?いつまで経っても隣から声が発されないことに気づいて、思わず下げていた顔を元に戻し、隣を見やれば。
「なに、その顔」
神妙な、なんとも言い難い表情をした兼定がそこにいた。嫌な予感が脳裏をよぎる。もしかして、もしかしなくても。ツウ、と冷や汗が頬をつたう。
「お、美味しくなかった?」
「いや不味いっつうか、なんつーか……しょっぱい?」
「えっ!?」
慌てて自分もおにぎりを手に取る。ううん、見た目は普通……いや、だいぶ不格好ではあるけど、何も変なものは入れてないはずだ。
ぱくり。おにぎりを一口、頬張る。その途端に、口内に広がる塩分。何というか、これは……どう考えても理由はひとつしかない。
「塩、入れすぎた……」
「……だろうな」
「ごめん、もう食べないでいいから」
「いや、食うわ」
「ほんとごめ……って、え?」
もぐもぐ。神妙な顔をし続けながらも、塩辛いおにぎりを頬張り続ける兼定。驚いて、手にしていたおにぎりを落としそうになる。いや、「すげー、梅干まで入ってる!塩梅握りか」だなんて、そんな呑気なこと言ってる場合じゃないってば。
塩を入れすぎたおにぎりは、まるで塩でコーティングされたようだ。じゃり。噛み締めたはずの米粒は、塩の固まりだった。それはしょっぱくて、涙の固まりみたいな味だった。
「ねぇ、兼定。無理に食べなくていいってば」
「無理してねぇから」
「そんなの食べたら身体壊すって」
「んなヤワな身体じゃねぇし」
ああ言えばこう言う。押し問答を繰り返す。強情な兼定は、こうなったらわたしのいう事なんて聞かないけれど、今回ばかりはそうも言っていられない。彼の手にあるおにぎりを奪い取ろうと両手を伸ばせば、そのまま手を掴まれてしまった。
「確かにしょっぺーけど、食べられねぇワケじゃない。何か文句あっかよ」
「えぇ……でも」
「あと、それも全部食うから」
「そ、それは駄目」
「ハァ?なんでだよ。全部オレのだ」
「何でって……これは他の皆の分だから駄目だよ」
「お前。このしょっぱい握り飯、アイツらにも渡すつもりかよ」
「それは、その、渡さないけど」
「じゃあいいじゃねーか」
ふてくされたようにそう言って、兼定はまたおにぎりを頬張った。きっと気を使ってくれているのだろう。その気遣いは嬉しいけれど、その優しさはいっそ胸が痛い。小さくため息をつけば、同じように隣でため息をつかれた。
「また気遣ってもらってるとか思ってんのかよ」
「えっ!?あ、うん……だって、兼定は優しいから」
「優しかねーよ。大体、なんで他の奴らに渡したくないって言ってんのか、わかってるのか?」
「それは……」
「お前があんな事言うからだよ」
「あんな事って」
「……だからっ」
愛情、込めてるんだろ?
きちんとわたしの方を見て、そう兼定は問いた。頷いたわたしに、満足そうに頷き返す。
そっかぁ。おー、そうだよ。だから独り占めしたいんだ。他のやつに渡すワケにゃいかないんでなぁ。そりゃそうだ、でももう食べちゃ駄目だよ。なんでだよ、せっかく主が作ったんだろ。
ほら。兼定はやっぱり優しい。
「また明日作るから」
「でもよ」
「明日は、美味しく作るから」
「……分かった。でもこれは全部食うからな!食わせろ!」
大きく口を開けて、残りのおにぎりを口へほうり込む。もぐもぐと動く口元はまだ少しだけ不満そうで。ごめんね。と心の中で謝って、開いたままの風呂敷を結び直した。それにしても、随分と美味しそうに食べてくれるなぁ。こんなにしょっぱいのに。わたしのおにぎりは、一口かじったままで止まったままだ。
「ごちそうさま」
「おそまつさまでした」
「美味かったぜ」
「……本当、兼定は優しいよね」
「あ。信じてねぇな?」
「信じてないわけじゃ……」
「信じさせてやろうか?」
頬を撫でられて、そのまま指先が唇をなぞる。美味しいものは食べないといけねぇよなぁ。そんな声が、ほんの数十センチ先から聞こえる。あ、と思う間もなく兼定の顔が近づいてきて、そして。
夏の朝は、すこし涼やかで心地が良い。けれど、今の私たちにはすこしも当てはまりそうにないみたいだ。
しょっぱいわけ、ないじゃない。
しょっぱいと言うよりも、むしろ。