秋の昼 『錦秋』
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初めまして。「秋の昼」を兼さに小説で担当させていただきましたeccoと申します。まずWebアンソロ企画「誠風名月」開催、おめでとうございます!このような素敵な企画にお声掛けくださった主催様に感謝の気持ちでいっぱいです。有難うございます。また豪華な執筆者様方と恐れ多くもご一緒させていただくことができ、大変嬉しく思います。皆さまの四季折々の作品を楽しみにしております。土方組を愛する多くの方々に楽しんでいただけたら幸いです。
「あ~!気持ち良い!」
澄み渡った空の頂点に太陽が昇る頃。ふらふらと自室から姿を現した審神者は、ぐっと伸びをした。降り注ぐ日の光が、疲れ果てた体に栄養のように染み渡る。足元では五虎退の虎たちが、ぬくぬくと日向ぼっこに励んでいた。両手を大きく広げて深く息を吸い込むと、清々しい風が体の中を舞い踊るように駆け巡る。張りつめていた気持ちが解けていく気がした。
「あれ、主さん?お仕事、終わりました?」
何度か深呼吸を繰り返していると、彼女を呼ぶ声がした。その声の持ち主を探して、手を広げたままの体制で腰をひねって、くるりと後ろを振り返る。そこには沢山の洗濯物を持った堀川国広の姿があった。なるほど、こんなに良い天気ならば洗濯物もよく乾くはずだろう。いかにも働き者の堀川らしく、審神者はくすりと笑みを零した。
「お疲れ、堀川。今日までのものはなんとか終わったよ」
「終わったんですね!お疲れ様です」
「うん、本当に大変だった……午後はお休みにしようかな」
「あの、それでしたら紅葉を見に行くのはどうですか?」
「……紅葉?」
「はい!山伏の兄弟が山に修行へ行く際に、良い場所を見つけたと言っていました!」
紅葉。久しぶりに耳にしたその単語に、審神者は辺りを見回した。そして気づく。変化は至るところにあった。庭の先々で色づき始めたもみじ、花開いた山茶花。夏の焦がすような暑さはいつの間にか盛りを過ぎて、もくもくと綿あめのようだった入道雲も、その形を鰯に変えている。そばにいた虎たちも一斉に声を張り上げて、まるで自分の得物だと言わんばかりにみゃあみゃあと鳴き声をあげた。
全く、私ってやつは!彼女は心の中で毒吐いた。季節の移り変わりには敏感だったはずなのに。それなのに教えてもらうまで気づけなかった。あんなに気持ち良く秋の空気を体に取り入れていたのにも関わらず、だ。書類をこなすだけの日々に、いつしか余裕を失くしていた。そんな自分に嫌気が差す。これは良くない傾向だと、彼女は堀川の言う通り、紅葉見物へ行くことにした。
「あ、今日は兼さんも非番ですよ!誘ってあげてくださいね。きっと待っていますから」
それなら早速!と一度部屋へ戻ろうとしたところにかけられた一言。まるで自分の思考を読み取られたのかと驚いて、肩が揺れた。おそるべし、堀川国広。ちょうど彼女は、彼の予定を思い浮かべていた。
この本丸と審神者と和泉守兼定は、所謂恋仲である。仲間たちのサポートもあり、紆余曲折を経て一緒になることが出来た。二人の仲睦まじい姿は本丸内でよく見られ、仲間たちは皆、温かな目で見守っている。しかし、ここしばらくの間は審神者が今までで最大とも言えるほどの大量の仕事に忙殺され、二人は会うこともままならない日々が続いていた。
いつもならば不機嫌を露わにし、どうにか自身へ気を逸らそうとこちらの都合なんてお構いなしにずかずかと踏み込んでくる兼定が今回は何も言ってこない。それどころか、ここ数日は姿も見ていない。それに彼女は少し違和感を覚え、不安を感じていた。そんな審神者の思案を堀川はお見通しだったようだ。
「うん、そうする」
そう堀川に告げて、審神者は和泉守兼定の部屋へ向かった。開けっぱなしの障子から、そっと覗くと彼の人は畳にごろりと横になっていた。少しだけ久しぶりに感じる彼の背中。いきなり誘っても大丈夫かな、嫌がられないかな……もう愛想尽かされたりしていないかな。そんな緊張を飲み込んで、審神者は声をかけた。
「兼定」
「ん?……あぁ、あんたか。どうした?書類終わったのか?」
よっと弾みをつけて体を起こした兼定は大きなあくびを一つして、審神者の方を向いた。いつも通りの振る舞いに、胸が少し軽くなる。これならば言えそうだ。
「とりあえずはね。あのね、今から時間ある?」
「おう?……まあ今日は特に予定もねえが」
「本当?じゃあ、今から紅葉見に行かない?」
「紅葉?」
「うん。堀川が山伏に良いところ教えてもらったんだって」
「……ああ、話には聞いたな。っし、行くか」
「うん!ちょっと準備してくるから、先に玄関で待っていて」
「おう」
審神者の提案に二つ返事で了承した兼定を残し、彼女は自室へと踵を返した。久々に二人きりの時間を過ごせる。そのことに審神者の気持ちは高揚していた。部屋へ戻り、簡単に支度を済ませると、兼定の元へと急いだ。
玄関では、一足早く審神者を待っていた兼定が相棒である堀川と何か話していた。近づいていいものかとそわそわしていると、気づいた兼定がこっちへ来いと手招きをする。どうやら二人は場所の確認をしていたようだった。
「楽しんできてくださいね」
「おう」
「うん、行ってきます」
堀川に見送られ、二人は本丸を出発した。目的地はここから歩いて三十分ほどの小高い丘。山伏の修行場の近くと聞いて、どんなところかと身構えていたが、どうやら修行場である山のだいぶ手前にあるらしい。登り坂ではあるがなだらかなため、普段から動くことの少ない彼女でも大丈夫だろう。
「ねえ、こんなところに道ってあった?」
「いや、なかったと思うが……」
「?」
「たぶん、山伏が修行に行くときに通りすぎて、道が出来ちまったんだろうな」
「冬が来る前に修行をしておきたいって言っていたけど、この調子なら雪山の中も行ってしまいそうね。注意しておかなきゃ」
「聞かなそうだけどな。あ、冬はこたつってやつを出すんだろう?」
「寝ちゃだめだからね?」
「へーへー」
兼定といられることが嬉しくて、審神者の足取りは軽かった。目を合わせるごとに、お互いの想いが伝わっているようで、些細なやり取りも楽しくて仕方ない。
穏やかな傾斜のある道を一歩一歩、踏みしめて歩く。道中にすすきや吾亦紅など小さな秋が次々と現れて、二人を歓迎していた。足を止め、秋を実感して、そしてまた歩き、三分の二が過ぎたころだろうか。彼女の額に汗が浮かびはじめていた。
「ちょっと、足ががくがくしてきた」
「早えな。まあ普段のあんたは、運動しねえもんな。大丈夫か」
「帰りはおんぶしてもらおうかな」
「はあ?無理に決まってるだろ」
「なんだとー?!……はあ、疲れた」
「ったく、しっかりしろよ。お、あそこだ。もう着くぞ」
ぜいぜいと息を乱し始めた彼女を見かねたのか、兼定は彼女の腕をとって支えた。少しでも体力を失わないように話すこともやめて、兼定に引っ張ってもらいながら進んでいくとようやく開けた場所に出た。やっとの思いで着いたその場所に息を整えつつ、彼女は顔を上げた。
「うわあ……」
「すげえな」
「ねえ、あっち!」
審神者はその光景を目にうつすと、それまでの疲れも吹っ飛んで行ったように、一等見晴らしの良いところまで走った。そして再び歓声をあげて兼定へ呼びかけると、急に腕を振り離された彼は不機嫌そうな顔。審神者は慌てて彼の傍へと引き返した。不貞腐れたその姿がなんだか可愛くて、ごめんごめんと手を引いて、兼定も一緒に改めて眺めの良い場所へと向かった。
「綺麗だね。頑張って登ってきた甲斐があったなあ」
銀杏や紅葉の葉が絨毯のように広がる大地、その向こうに臨む山々も華やかな粧いで、まるで“私を見て”と言わんばかりである。絵画のように完成された美しい景色に、二人はしばし魅入っていた。
ふと隣にいる兼定の様子が気になった審神者が視線を移すと、彼は眺めているというより眼前を睨むかのように黙して何か考え込んでいるようであった。何だか剣呑ではない様子に、彼女はそっと名を呼んだ。
「兼定?」
「わりい、なんでもねえ」
「何でもないって顔じゃなかったよ……どうかしたの?」
「あー……いや、なんつうか柄じゃねえの、分かってるんだけどよ……」
「うん」
審神者は兼定の言葉を待った。何を話し出すのか少し怖くて、俯いてしまう。足先で遊んでいた紅葉がくしゃりと音をたてた。
「……ああいう風景を竜田姫の庭っていうんだろ?」
「ああ、確かに。そうだねえ」
「その下にさ、本丸が見えただろ?あれは竜田姫のもんじゃなくて、あんたの庭だ」
「……うん」
「俺には遠い山々にある竜田姫の庭よりも、あんたのつくったあの本丸の庭が一等綺麗に見える。竜田姫もあんたには適わないな」
その言葉に驚いて、勢いよく兼定の方を向くと、頬を赤く染めて微笑む彼の顔があった。
竜田姫の庭のその真下にある本丸。池には紅蓮がちらほらと浮かび、皆で育てている金の稲穂が輝いている。秋の花々が慎ましやかに咲いて、刀剣たちの目を楽しませていた。それはまさしく彼女が手ずから心を込めてつくりあげた箱庭であった。
格好良くて華美なものを好む兼定が、極彩色に染めあげられたこの鮮やかな美しさよりも、ひっそりと佇む小さな空間を好むなんて。思いを率直に表す珍しさも相まって、審神者は頭が真っ白になった。
それでも何か告げなくてはと口を開いたその時、ひゅうと一陣の風が吹き荒れた。
「寒いか?」
少し冷たいその風に思わず体が震わせると、兼定は素早く自身の肩に掛けていただんだら模様の羽織を審神者によこした。そのまま抱きしめてくれれば良いのに、なんて思いつつふわりと香る彼の匂いに顔が綻ぶ。
戦うことを好むせいか、どこか粗野で直情的な印象を抱かれがちな兼定であるが、その性格は驚くほど優しく、こまやかな気配りに溢れている。ここへ向かう時だってそうだった。言わずとも歩くペースを合わせてくれる、歩むのが遅くなると後ろを振り返って大丈夫かと気遣ってくれる。
——あぁ、そうだ。思い返せば、兼定はいつも構ってほしくて不満そうにしていたわけじゃない。集中しだすと周りが見えなくなる私に声をかけ、根を詰めないように上手く気を逸らしていてくれたのだ。だから息抜きが出来ていたのだ。そのことに今さら気づく。
兼定から与えられる愛情を彼女はひしひしと感じていた。
「大丈夫……竜田姫の嫉妬かも」
竜田姫は秋の神。風を司り、染色と裁縫が得意で秋の野山を駆け抜けるように染めあげる女神だ。そんな彼女が、こんなに優しくて強くて、格好良い神様と恋仲である自分に嫉妬してもおかしくはない。審神者はそう思った。けれども誰にも彼を渡す気なんてない。自分だって同じくらい兼定を愛しく思っているのだ。それを彼に伝えたかった。だから——
「ねえ、知ってる?」
「ん?」
「この時期に吹く北風をね、雁渡しっていうんだって」
「ふーん……それで?」
「雁ってね、一生相手を違えることはないの。そんな二人になりたい」
それでもどうにも気恥ずかしさが混ざってしまうから、遠くを見ながら何てことないように呟く。それが彼女のできる精一杯だった。愛しているよと、ずっとそばにいたいが伝わっただろうか。
ちらりと顔を見ようとした瞬間、気づくと審神者は兼定の腕の中にすっぽりとおさまっていた。彼の面食らったような表情が見えた、気がする。衝撃に目をぱちぱちとさせていると頭上から愛しい彼の声が降ってきた。
「なれる。あんたの役目がどんなものなのかも知っている。知っていて俺たちはあんたの力になったんだ。だから俺に申し訳ないなんて気に病む必要なんてない。俺は良いんだ。あんたと共にあるなら、それで良い」
それは彼自身の本音であった。腕の中にいる愛しい人は、何十という刀剣男士を束ねる将だ。様々な重圧を背負い、一振りとして失うことがないようにと心を砕いて戦っている。
兼定も元は一振りの刀剣。肉の器を持ち、縁あって彼女と恋仲になったが、その性質は刀剣の頃のままである。だから男女の愛情より戦いを優先させて動く彼女の姿が好ましく、誇らしかった。そしてその中でひっそりと己に特別な感情を抱いてくれていることが喜びであった。
「ありがとう」
口下手な兼定が伝えてくれる思いに彼女の不安が溶けていく。唯人である自身が担う役目の重圧と彼の思いに応えられていないのではという罪悪感。それはずっと彼女が感じていたものであった。それら全て包み込んでしまう兼定に、また恋に落ちていく。審神者は彼を抱きしめる腕を強めた。
そっと兼定の手が審神者の頬に触れ、優しく撫で上げた。視線を合わせると浅葱色の目が細められる。ああ、そんな顔をしないでほしい。また想いが溢れて、たまらなくなってしまう。
どちらともなく顔が近づいて、重なるまであと数センチ……
ぐう
雰囲気を打ち壊す腹の音に、審神者は瞠目し、その腹の主は彼女を抱き込んだまま、がくりと力を抜いた。肩に顔を埋めた兼定のため息が聞こえる。どうにも格好つかない。が、それも自分たちらしいと思うのは惚れた弱みだろうか。審神者から笑い声が漏れた。
「ふふふ」
「笑うなよ。……腹減った」
「減ったね」
「帰るか」
「うん、帰ろう」
雁ではないけど、烏が鳴くから帰りましょう。
そう笑いながら子どものように手を取り合って、二人は本丸へ帰っていく。舞い散る色とりどりの秋が、彼らを祝福していた。